2016年7月
先人たちが大切にしてきた養蚕を先端技術で奇跡のリバイバル
山鹿の伝統的産業で耕作放棄地の利活用を
私は、1947年(昭和22年)に旧・鹿本郡稲田村、現在の山鹿市に生まれました。子どもの頃は、多くの農家が蚕を飼っていたものでした。中学生、高校生当時、私は新聞配達をしていましたので、家々の中に入って新聞を届けるときに、各家の母屋で蚕がとても大切に飼われているのを毎日見ていました。
そうした光景を実際に見ることのできた最後の世代なのかもしれませんが、私にとって蚕を飼う風景は山鹿の原風景でもあるのです。
また、生まれた家が近代蚕糸業の開祖としても高名な「長野濬平」先生が最初に住んだ家だったという浅からぬ縁もあり、個人的にもこのプロジェクトには、感慨深いものがあります。
(株)あつまる山鹿シルクが手がける新たな養蚕事業は、無菌室で無菌の桑を蚕に食べさせるというものですが、先人たちが蚕を大切にし、美味しい桑の葉を食べさせていた気持ちとも通じると思います。「蚕を大事に飼う」という伝統が、現代のテクノロジーで究極の形になるわけです。
またこの事業では、桑を栽培する「天空桑園」に、耕作放棄地だった広大な土地を活用しています。全国の例に洩れず、熊本県も農村部における人口減少は大きな問題ですが、山鹿の伝統的な産業である養蚕業で耕作放棄地がなくなり、農村に雇用が生まれるという点が、この構想の特に素晴らしいところですね。
かつて隆盛した伝統的産業の奇跡のリバイバル。まさに逆転の発想です。
工場の起工式式典での蒲島知事。自身の出身地である山鹿から生まれる本事業の熱い思いを語った。
シルクのブランド化が「創造的復興」の契機に
その様な中で、新たな養蚕業復活への大きな投資を行われ、天空桑園の造成から、養蚕工場の建設に着手されるなど、このプロジェクトが順調に進捗していることは、熊本県全体にとりましても、とても明るいニュースとなりました。
これからは、「無菌の蚕からできた究極のシルク」というブランド化が、非常に大切になると思いますが、熊本県の営業部長「くまモン」にも、その魅力や将来性についてのアピールなど、大いに活躍してもらうつもりでおります。
日本全国で「地方創生」が叫ばれていますが、山鹿流の創造的な地方創生として、地域の旗印となる会社、事業へと成長し、世界に誇る山鹿のシルクブランドへと発展していくことを切に願っています。