INTERVIEW関係者の想い

2016年7月

絹糸がつないだゼロから興すシルク産業

本事業を後押してくれた然るべきタイミングでの出会い

 シルク事業への着手を決めたきっかけは、熊本経済同友会の月例会の中で、新しい養蚕業の存在について伺ったことでした。当社の母体となる企業は求人情報雑誌の刊行などを行っていますが、前々から地域の還元できる新規事業を探しておりました。
そこに「これだ!」とシルク事業が響いたのです。

 かつては熊本県でも養蚕業が非常に盛んで、国策として世界一の規模で生糸を輸出していたことは、私も知っておりました。
それをもう一度復活できるのではないか。廃れていることを見直すのは今の時代に大事なことではないかと、具体的に考えるようになったのです。求人誌事業ではさまざまな業界とお付き合いがあり、お客様と競合する事業に進出するのは商道に反すると考えておりましたので、ゼロから興すという意味でも、シルク事業は魅力的でした。

 それからの進展は非常に早いものでした。桑畑の用地確保を考え始めた段階で、山鹿市の中嶋市長とご同席するイベントがあり、世間話の中でシルク事業に興味を持っている旨をお伝えしたところ、「ぜひ山鹿で」となり、桑園の土地を数日内に見つけてくださいました。山鹿と養蚕業の深い結びつき、長野濬平さんの出身地であることなどを知ったのはその後でした。赤い糸ならぬ、絹糸が山鹿とつながっていたのでしょう。

 また、商売人としては考えるべきでしたが、「これをやれば儲かる」という発想は、この事業にはありませんでした。プロジェクトが進み始めた時点で、「生産物はどこに、いくらで売るつもりですか」とご指摘を受けたほどです。
そして、それを考え始めると同時に熊本県副知事から商社(伊藤忠)の方を紹介いただき、展望が見えた。何事も次から次へと然るべきタイミングで然るべき人と出会い、ご縁がつながっていく。このことも本事業への確信につながっています。

竣工式で工事の無事の完成を祈り玉串を捧げる島田社長。熊本地震が発生したことから予定よりも3ヶ月遅れての実施だっただけに、その復興への足がかりにという新たな決意をもって臨んだ。

地域の雇用創出の期待を受け、医薬的研究機関設立への展望も

 驚かされるのは、これまで誰からも反対の言葉を聞いたことがないということです。それだけ多くのご期待があると受け止めております。今後の目標としてはまず、工場が完成し、定期的な生産を確かにし、毎月安定して出荷できる会社づくりをすることです。その後の展開として、工場に隣接した研究所を作り、無菌室で育った蚕を医薬的な目的に生かす土壌づくりの構想も持っています。

 例えば、大学機関の山鹿キャンパスという形ができれば、地方に人を留め、新しい人も呼び寄せられるでしょう。
「シルク・オン・ヴァレー」という地域として発達する可能性を、強く感じています。地域の雇用創出としては、操業の始まっている桑畑の従業員に加え、来春の新卒者12名を現時点で採用しています。
来年3月に工場が完成すれば、試験操業によって必要な人員が見えてきますので、そこでまた地元からの採用を予定しております。

  「シルク・オン・ヴァレー」プロジェクトが始まって以来、多くの皆様のご協力、ご期待をいただき、感謝とともに身が引き締まる思いがしております。私たち社員一同、一丸となってがんばってまいりますので、今後ともご指導、ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。