新シルク蚕業構想
未来をつむぐ、やまがのシルク。
はるか昔から続くヒトとカイコとシルクの歴史。
全国で養蚕が行われ、シルクは日本の近代化を支える重要な産業であった。
その“シルク蚕業”が、今、岐路に立っている。
ひとつは、過去から続く道。
シルク蚕業は、このまま衰退の一途をたどるのか。
もうひとつは、未来を切り拓く道。
無限の可能性を秘めた、新たなシルク蚕業を創生するのか。
― SILK on VALLEY YAMAGA ―
このプロジェクトは、新たなシルクロードを未来へつなぐ。
伝統蚕糸業の継承と革新的シルクの創造。
ここ“やまが”の地から、新たなる歴史を刻むため、
今、その第一章の幕があがる。
新シルク蚕業構想
SILK on VALLEY YAMAGAとは
この名前には、姫御前岳や国見山、八方ケ岳に囲まれた盆地(VALLEY) に位置する山鹿から、日本の養蚕・シルク(SILK)産業を再興し、世界のシルク産業拠点として羽ばたくという願い、決意が込められています。 「SILK on VALLEY YAMAGA」プロジェクトの推進によって、本市では、大きく四つの効果を見込んでいます。
- 1桑園・工場の拡大による遊休地・耕作放棄地の解消
- 2工場の稼動、関連産業が集積することで生まれる地元雇用の創出や、若者などの定住促進
- 3地場企業などと連携した6次産業化の推進や地域産業の活性化
- 4世界に誇れる新たな付加価値と高機能を備えた『山鹿シルク』によるジャパンブランド力の向上と交流人口の増加
養蚕工場での直接的な雇用増などの効果だけでなく、本市における「まち・ひと・しごと」づくりの全てに寄与する、まさに地方創生のモデルとなる取り組みへと育てていきたいと考えています。
新シルク蚕業構想が山鹿市で立ち上がる背景
山鹿市=熊本近代養蚕のはじまりの地
本市は、熊本県の近代蚕糸業の開祖である「長野濬平」氏の出身地ということもあり、昔から非常に養蚕・製糸業が盛んな地域でした。しかし、輸入品の増加による国産シルク需要の減少や、生産農家の高齢化に伴う廃業などにより、養蚕業は全国的にも衰退の一途をたどり、本市内にも2軒の養蚕農家を残すのみとなっています。
このような中、平成26年10月、(株)雇用促進事業会(熊本市 現(株)あつまるホールディングス)の島田俊郎社長は、農業生産法人㈱あつまる山鹿シルク(事務所 旧山鹿税務署跡)を設立し、新たなる手法で、国内のみならず世界を視野に入れたシルク産業の再興・創生を目指し、一大プロジェクトが始動しました。
熊本近代養蚕の開祖、長野濬平氏
横井小楠の塾学んだ濬平は、24歳のときに、玉名郡南関に招かれて塾を開く。
養蚕の研究に力を入れ、「養蚕富国論」を提唱。40代後半から全国の養蚕先進地を視察し、熊本藩に桑を植えることや養蚕試験所設立を提言。
養蚕の普及と製糸の機械化による殖産興業と輸出貿易の振興を目指した。
濬平は、過酷な試練に何度も見舞われるが不屈の精神で乗り越え、明治26年に設立した熊本製糸合資会社では、遂に日本一の製品と評価され、海外にも輸出されるようになった。
明治29年には、長年にわたる養蚕・製糸業の発展に尽くした功績が認められ、熊本県で初めて緑綬褒章を受賞した。
- 文政6年(1823年)
- 山鹿郡庄村の儒医長野集(成卿)の長男として生まれる
- 天保14年(1843年)
- 横井小楠の私塾に入門、実学を学ぶ
- 弘化4年(1847年)
- 玉名郡南関の総庄屋木下初太郎の招きにより、南関に私塾を開く。「養蚕富国論」を著わす
- 明治2年(1869年)
- 南関の私塾を閉じ、養蚕技術取得のため、先進地視察へでかける(春秋2回)
- 明治3年(1870年)
- 藩の養蚕伝習掛として3度目の先進地視察にでかける。養子新蔵を同伴。
先進地視察から得た意見を藩庁へ具申(意見をのべる)
- 明治4年(1871年)
- 県が募集した養蚕伝習生を引率して上州・信州・岩代(群馬・長野・福島県)各地の養蚕の実情を視察させる
- 明治5年(1872年)
- 養蚕試験所を設立(10ヶ所)
養子新蔵夫妻を群馬の速水堅曹のもとに派遣、器械製糸の技術習得にあたらせる
九品寺試験所にはじめて製糸機械を設置
- 明治8年(1875年)
- 上益城郡豊内村(甲佐町)に緑川製糸場設立、養子新蔵が業務担当
- 明治11年(1878年)
- 秋蚕の孵化に成功
- 明治12年(1879年)
- 養子新蔵 官営富岡製糸場の副所長(同所長心得)に抜擢される
養子新蔵 富岡製糸場官舎において不慮の災難に遭い同年9月19日亡くなる(享年29歳)
先進地へでかけ火力飼育法を研究し、「蚕業草案」を著わす
- 明治16年(1883年)
- 熊本市北千反畑に熊本製糸会社設立
- 明治26年(1893年)
- 九品寺の養蚕所に熊本製糸合資会社設立
- 明治29年(1896年)
- 緑綬褒章を受ける(濬平73歳)
- 明治30年(1897年)
- 74歳で永眠
- 平成21年(2009年)
- 熊本市九品寺から濬平・寿喜夫妻の墓を山鹿市菊鹿町の長野家墓地に移す。
11月に「長野濬平先生顕彰の集い」が設立される。
山鹿市とは?
熊本県北部に位置する山鹿市は、豊富な湯量と美人の湯としても知られる「山鹿温泉」や、渓谷・棚田などの豊かな自然と国内有数の「装飾古墳群」、また国の重要文化財に指定される芝居小屋「八千代座」など、自然と歴史・文化に恵まれたところです。
その中でも特に、浴衣姿の女性千人が和紙と糊だけで造られた国の伝統工芸品「山鹿灯籠」を頭に乗せ、ゆったりとした情緒漂う「よへほ節」の調べにのせて踊る「山鹿灯籠まつり」は、全国屈指の夏の風物詩として、見るものを魅了します。
産業では、スイカ・栗・お茶などが特産となる農業を中心として、商工業、観光業が盛んで、工芸品として、「山鹿灯籠」や400年の歴史がある「来民うちわ」などが有名です。
ぜひ一度、「やまが」へお越しくださいませ。
詳しくは、下記リンクからご覧ください。
【空港から】阿蘇くまもと空港から車で40分
【鉄道で】九州新幹線「新玉名駅」→バス40分
【お車で】九州自動車道「菊水IC」→15分